カポエイラの歴史については諸説あり、今だはっきりとはわかっていないのが実際です。メジャーな起源説にはいくつかありますので簡単にご紹介します。
<起源説その1> アフリカアンゴーラ地方に女性の成人を祝う際、成人男子が踊るN'goloという踊りがあります(シマウマの舞い)。この踊りこそ、初期のカポエイラそのものである、という説があります。ただし、この説は、「それが正しいと証明されるまで」ひとまず置いておこう、などという意見もあります。要は、真実は誰にもわからないのです。
<起源説その2> アフリカからブラジルに連れてこられたさまざまな地域の奴隷たちが、それぞれの文化=踊り、格闘技、楽器などを持ち寄り、奴隷として過酷な労働を強いられるなか、築き上げていったのがカポエイラである、という説があります。ブラジル、バイーアの首都サルバドールで、19世紀に生まれたというのが起源説として語られています。
<起源説その3> 奴隷制度に苦しむ黒人奴隷たちのなかには、為政者から逃れるために、キロンボという独立したコミューンを形成するものもいました。そのキロンボの伝説的なリーダーであるズンビが、カポエイラの形成に大きく影響を与えているという説もあります。ただし、信頼できる情報源がなく、真実を知る者はいません。
カポエイラにはカポエイラ・ヘジオナールとカポエイラ・アンゴーラ、そしてさまざまな格闘技やダンスの要素を取り入れたカポエイラ・コンテンポラニアが存在する、というのはご存知かと思います。ヘジオナールはメストレ・ビンバ、アンゴーラはメストレ・パスチーニャが創設者と言われています。ここではカポエイラの偉大なる2大メストレをご紹介します。
メストレ・ビンバ
メストレ・パスチーニャ
カポエイラのダークサイド、ちょっとお話をしますね。19世紀初頭、カポエイラは為政者に抑圧されていました。カポエイラが解放されてから、カポエイリスタは路頭に迷い、自分のカポエイラを喧嘩の道具にしていました。ギャングの用心棒として、カポエイリスタは日々、格闘を繰り広げ、ナイフや剃刀を使う技術も発達したといいます。下層階級の武術としてカポエイラは認知され、カポエイリスタは野蛮人として人々に恐れられていた、そんな暗い歴史もカポエイラにはあるのです。